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 ワタクシの老父は、双極性障害です。 うつ病と診断されたのですが、もしかしたら最初から双極性障害だったのかもしれません。 何の知識もなかった頃はもちろん、看護師になっても老父のことが許せなかった時期が長く続きました。
 受け入れていませんが、老父と折り合いをつけながら日々暮らしております。

1.うつの発症

 ワタクシが7歳、小学一年生の時に父はうつを発症した。子どもだから原因だどわかるわけないし、父の変化がわかったわけでもない。突然家からいなくなり、母とモラハラ兄と3人暮らしが2ヶ月くらい続いた気がする。

 父は家からいなくなったのではなく、入院したのだ。 退院してから自宅療養になったが、とにかくじっとしている父の姿しか記憶がない。 うつを発症してから、話している姿を見たことがない。自分がどのように父と接していたかも覚えていない。

 覚えているのは母がテレビを消していたこと。ネガティブな内容の自虐的なバラエティはすぐチャンネルを変えるかテレビのスイッチを切っていた。母が「こういうのはダメって先生に言われた」とよく言っていたのも覚えている。

2.うつからの引きこもり

 父の仕事は大工。景気に左右されるけど、手に職系の仕事なので、まあ食いっぱぐれることはない。仕事は休職したのか退職したのかわからない。時期は覚えてないが働きはじめたけど、長続きしなかったのはよく覚えている。朝母と何か話して、1日家にいる日が続くことがあった。
  働く日と休む日が半々の生活が続いたある日、引っ越すことが決まった。 新興住宅地にある団地だが、まだインフラが整ってなかった。買い物や交通機関が不便な時期があった。引っ越してから父は、少しずつ家にいることが多くなった。

 何をするわけでもない、横になってラジオを聴いているだけだ。お酒をよく飲んでいた時もあった。 知り合いに一方的に電話をして、延々愚痴を話していたのはよく覚えている。愚痴を話せば、また横になって誰とも話さない。この時、父はコミュニケーションをとることや順序立てて考えることができなくなったと思う。自分の言いたいことを一方的に話して、相手の説明を全く聞かない。すべて「わからない」で通していた。 その前に電話で話すだけで、対面で他人と接することはほとんどなかった。

 父が笑って笑顔になったことは全く覚えていない。暗い表情で、時々思い出したようにテーブルや畳を叩いていた。家族に暴力を振るうことはなかったけど、見ていてやり場のない腹立たしさを持っているのはよくわかった。 こんな家族から早く抜け出したかったから、ワタクシはどんな手を使ってでも家を出たかった。看護師になろうと決意したのは、家をでて働きながら学べるのも理由のひとつだった。

3.うつと引きこもりからの脱出

 ワタクシが家を出た後も、父は引きこもっていた。働く時もあったが圧倒的に誰とも接することなく家にいた。 ある日、母から「家を買って引っ越した」と手紙がきた。手紙には今まで見たこともない笑顔の父と孫の写真が入っていた。引っ越した実家に帰ると、父親は笑顔でよく話し近所付き合いをしていた。

 引っ越したので地域が変わったのに、自治会の子どもの見守りやグラウンドゴルフに参加するなど、今まで引きこもっていたのがウソのようだった。 仕事もう引退していたが、時々頼まれて現場に行くことはあった。 何がきっかけになるかわからないけど、暗くて電話で愚痴ばかりこぼす父が変わったのは嬉しかった。

4.躁状態出現

 もしかしたら、もっと前から躁状態になっていたと思う。ワタクシがクラッシュして実家で老親と同居を始めてまもない頃、よく喋り・よく動き回る時期があった。朝5時に起きて庭いじりをして、普段全くしない掃除をして、とにかく動き回っていた。母のそばで延々とじゃがいもの植え方の話をしていた。 落ち着きがなさすぎる。母は精神病の知識が全くないので、無視をしていた。

 「お父さん、おかしいから病院に行って」とワタクシは父に躁状態のことを話した。否定していたが、母親と一緒に通院している精神科外来を受診した。かかりつけ医は「躁状態です。うつと躁を繰り返すけど、年齢を考えると薬の治療は難しい」と言われたそうだ。 老父の年齢では、薬が効かずに副作用しか出ない可能性がある。それならうるさいけどそう状態が治るのを待つしかない。幸いなことに浪費や人間関係のトラブルを起こすことはない。

 躁状態は決して幸せな万能感にあふれている人ばかりでない。かつての上司のように、考えがまとまらず、他人の欠点を責め立てて激昂するような、あとで取り返しのつかないしくじりをやらかす人もいるのは確かだ。双極性障害の自己管理が全くできない人のなりゆきは、過去記事をご参照くださいませ。

まとめ − 現在の様子

 社会と関わらず、他人と接することをせず、母に全て任せきりだった老父は、見事に自分で判断することができない人間になりました。何かトラブルやイベントがあれば、それで頭がいっぱいになり落ち着かずそのことにこだわり続けます。 これは年齢による変化ではなく、社会資源がうまく使えてなかったのが原因です。

 でも仕方がないですね、今のような社会資源(家族会や当事者会など)ない時代でしたから。 それでもご近所付き合いをして躁状態に時々なりながら、ぼちぼちと暮らしている老父はまあまあいい生活をしていると思っています。
 年齢なりの体調の悪さはありますが、まあ安らかにあの世に行って欲しいと願う毎日です。

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高齢者おひとりさま生活をハックする、 
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