幕末の話に惹かれる理由の一つで、
剣術の廃れ方があります。
それまでずっと、剣術が優れている武士は優秀でした。
織田信長が火縄銃を持ち込んで戦ったけど、
鉄砲はそれほど普及しませんでした。
鉄砲は高価、という理由もあったでしょうが。
剣術や戦術に優れた武士でも、
下級であれば貧しく能力が発揮できない。
貧しいゆえに食べていくために、
剣術でお金を稼ぐ。
「あいつは剣術が優れている」という理由で、
都合よく任務を任される。


壬生義士伝は幕末の食べていけない武士が家族を守るために、
新撰組に加わって人を斬っていく。
だけど最後は天皇政権の鉄砲や大砲を持った軍に負けてしまう。
鉄砲の前では、剣術は無力です。
それでも吉村貫一郎は剣術で最後まで戦う。

たそがれ清兵衛は小説と映画では、
ストーリーが違うのですが、
剣術の優れた武士が主人公というのは同じです。
戦のない江戸時代、剣術に優れている武士はごく少ない。
自分の家族を大切にするために
仕事が終わると早々に帰宅するため、
周りからは無能に思われている。
罪人粛清のために清兵衛の剣術が必要とのことで、
清兵衛は駆り出されます。
清兵衛の剣術で罪人は粛清されますが、
映画では戊辰戦争で鉄砲で撃たれて最期を迎えます。

主人公たちは、鉄砲が主流になりつつあることで、
自分たちの剣術が廃れることは知っていたと思います。
幕末の武士達も、そう考えていたでしょう。
刀を持っていても何の意味もない。
下級武士であれば貧しくなるばかりで、
剣術で食べていけるわけはない。
それでも剣術にこだわっていた人は、
しがみついていたのではなく、
身体の一部となっていたから、剣術は捨てられなかったのでしょうか。