2016年元旦にブログを始めて、自己紹介をしていないやすじろう@2700_hermosoです

「『やすじろうって誰よ?』」と、不審に思ってらっしゃるでしょう。

ワタクシを詳しく知っていただくために、プロフィールを書きました。


「もう嫌なことはしたくない!やりたいことで稼いで、自分の思い通りに生きていく!」と決心したのが、ブログを始めたきっかけです。


最初からおひとりさまを貫くつもりはなく、選んでおひとりさまになったわけもなく、

結果としておひとりさまで暮らしてきました。
これから家族やパートナーを持つ気は全くありません。

目次


1.機能不全家族成育期。


2.人生の底辺期


3.思春期のやり直し期〜

  承認欲求を満たすボランティア活動期


4.学歴をごまかす受験・進学期


5.ハラスメント地獄期


6.フリーランスで死ぬまでゆるく働く修行期


 

 

1.機能不全家族成育期


1960年代に広島市に生まれ過ごしました。

ワタクシが7歳の時、父親がうつ病になった後引きこもりになりました。

代わりに母親がスーパーのレジ・販売員など低賃金労働で家計を支えていました。
 

家計を支えるのに精一杯の母と、引きこもりの父。

親の役割を担う余裕はなかったのです。
 

プロフィール2


懐かしい遊び場・平和記念公園です。
 

 

兄が一人いますが、これが典型的な地方の長男。

母親も田舎者なので、長男である兄を甘やかして育てた結果、モラルハラスメントをナチュラルにやる人間に育ちました。


小さい頃は親の見えない所でワタクシをぶん殴る。
思春期になると気に入らなければ、 テーブルをひっくり返す。

ワタクシの人格を否定するなど、兄から虐待を受けていました。

 (「お前が〜するから俺が怒らなければならない」という典型的なモラハラDV加害者の物言いをします)


何かを否定しないと自分を保てない、DV加害者に近い人格です。

世間様がDV・虐待・ハラスメントを取り上げるようになって、兄との支配・被支配関係に気づき、実兄とは15年前に絶縁しました。

 

 

2.人生の底辺期


どんなに辛いことがあっても戻りたくない時期です。

「女でも自分で食べていける仕事を持て」というポリシーを持つ祖父の勧めで、看護師を目指しました。


「作家になりたい」「舞台照明がやりたい」「調律師になりたい」など、まともに進路を考えてないことを祖父に見破られたのです。

看護学校は全落ち、「もう家にいたくない」理由だけで、高校卒業後、悪名高い医師会看護学校に入学します。

 

学校・仕事では「医師会卒は何も考えてない」「レベルが低い」「開業医あがり」など、

常に口汚く、こき下ろされます。

特に赤十字系の病院はひどいです。


プライベートは思春期の「ひとりは寂しい病」のため、集まれば人の噂話と彼氏の話しかしない田舎者のくせにカッコつけるオンナと遊んでいました。

 つきあう彼氏のタイプは「早く結婚して家庭を持ちたい、もちろんお前は専業主婦。家建てるときはローン返済するからパートで働け」という田舎ヤンキーばかり。


「広島を出たい、東京に行きたい」と、ただぐずぐず悩んでおりました。
 

 

3.思春期のやり直し期〜承認欲求を満たすボランティア活動期



田舎の息苦しさと「医師会卒は看護職にあらず」という扱いに、「広島にいる理由はない」と

赤十字系列の病院を退職、東京へ引っ越しました。


人材派遣会社に登録して収入を確保、ティーンエイジの時の欲求不満を爆発させました。

小劇場・ライブハウスに通いつめ、新宿を用もなくうろつく日々。

 いい加減満足した後、労働条件の良い、学閥のない病院に就職しました。

看護師特有の底意地の悪さはありましたが、田舎よりはまだマシ。


そのままおとなしく勤めていれば良いものの、承認欲求がムクムクと沸き上がり、NGOでのボランティア活動にのめりこみました。

仕事場では文句を言われ、こき使われるだけですが、ボランティアに参加すれば皆ワタクシに感謝する。

ボランティアは「支援するワタクシって意識高いわ!」「困っているあなたを、ワタクシが支援してあげてよ!」、と貧しい自分の承認欲求を満たすには、十分すぎる行動でした。


貧しい承認欲求を満たしたい気持ちは国内にとどまらず、活動範囲を海外に広げボランティアという名の承認欲求を満そうとしました。

 

ところが支援慣れしている当事者から見れば、ワタクシは搾り取れるカモでしかなく、一度目はまんまとカモられました。

金額は10000円くらい。


自分の思い通りの支援を受け入れない当事者に怒り心頭だったのは、当事者がワタクシに

感謝しなかったからです。

ボランティア活動をする動機が貧しい承認欲求だと、当事者は当然気づいているのです。

 

それでも懲りずに2度目の海外ボランティアに参加した時、「国際協力」は国や団体の間で最初から決まった支援方法があることに気づきました。

援助される側は、欲しいものをねだる構図が出来上がり、発展や自立などとは程遠いことを目の当たりにしました。


自分の貧しい承認欲求と、何様気取りのボランティアたちに、いい加減嫌気がさし、二度と「ボランティア」と名のつくものには関わるまいと決心したのでした。

 

4.学歴をごまかす受験・進学期


ボランティアから足を洗って帰国した頃、学歴で散々こき下ろされてきたワタクシは、大学進学を決意します。

まず、東京の医師会卒でも入学できる看護大学を志望校にして、予備校に通い受験準備をしました。

 

地方の看護大学は看護師免許取得コースを問わない上に、おばあちゃん看護教員がそのまま大学に天下りしている質の悪さとレベルの低さ、進学するなら東京の大学と目的を絞りました。

必死に勉強&コネクション作りに励んだ甲斐あり編入学に成功、最終学歴が大卒となりました。

 

非常勤勤務が長く続いたので、就職を考えていた頃に大学院受験の話がきました。

 本心は学士号で満足していましたが、周りに説得されて大学院進学しました。

東京から長崎にお引越しです。


自分語りと過去の栄光にしがみつく指導教官は、聞かれてもいないのに「この人、私のところでどうしても勉強したいから東京から来たのよ」とふれ回ってくれました。


悔しいのでことあるごとに「この歳で大学院に進学するより、正社員で働いた方が安定した生活が送れます」「修士号が取れるならどこでもよかった」と彼女の発言を端からを否定しておりました。


2年で無事に修士号取得、東京に戻ろうと考えていた時に、お世話になった方から長崎で看護教員をやらないかとお誘いを受けました。

 

5.ハラスメント地獄期


1)ハラスメント地獄その1


長崎の就職先で無難に仕事をしていたのですが、人事異動がありました。そこで待ち受けていたのがDV型ハラスメント。


巧妙に周りから孤立させて二人きりになりたがる。

優しく接する時もあるけど、きっかけがわからず怒り狂い、そのあと必ず優しくなる。

まさにDVでした。


この状況がおかしいことに気づかないのが、ハラスメントの恐ろしいところです。

ハラスメント委員会に申し立てしましたが、証拠不十分のため「ハラスメント行為はなかった」と結果が出ました。


ですがカウンセラーから「とにかく逃げろ」とアドバイスを受けたので、顔を背ける・会議は遠くの席に座る・廊下で出会うと180度回転して背を向けてダッシュするなどしましたよ。

 
全く理解がない職場で、復職しても孤立したままでした。
管理職と在籍していた大学院の指導教官からは、「いつ働けるんだ」と催促と叱咤の日々。

心身ともに追い詰められて休職、契約更新できずに契約満了となりました。


博士号を取るために大学院生をしてましたが、これ以上長崎にとどまる気力・体力はないので

大学院を退学しました。
 

東京で再び消耗する行動力もなかったので、地元広島に身を寄せることになりました。

 

2)ハラスメント地獄その2


広島に戻り、起業した古い知人から声をかけられ、彼女の会社を手伝うことになりました。


ですがこのオンナと近い距離で接して初めて、「若い男の子はセクハラの対象」「人を見下し、自分は何様、他人は奴隷」という本性がわかったのです。

 尊敬する部分もあるのですが、すっかり劣化してしまいました。

 

セミナーの内容は自分の話がほとんど、自分のケアの素晴らしさを延々と話します。

おまけに時間が全く守れません。
話し始めると全く時間の感覚がなくなるのです。


メリットのない他人をゴミ扱い、社会的地位が上の人にはちぎれんばかりに尻尾を振る。

ワタクシがこのオンナを持ち上げないので、謎の理由でその会社を出禁となりました。

 

3)ハラスメント地獄その3


古い知人の紹介で地元の看護学校に就職したのですが、そこは悪霊の溜まり場でした。

虚言癖・ヒステリー・ストーカー気質などなど、条件が揃いすぎてました。


座っていれば「働いてない」と噂話を流される、扉の向こうからずっとこちらを見る、

突然怒り怒鳴り始める…
 

3年我慢すれば契約満了と思い我慢していました。

相談窓口や上司に対応を求めても全く何も変わりません。

15ヶ月で退職しました。


「これ以上我慢したらまた潰れる」と心の悲鳴が聞こえたその日から、仕事は休みました。
 

電話で「やめるか働くかどっちかにしろ」とまくし立てられたので、退職すると伝え職場とおさらばしました。


これだけハラスメント地獄を味わったので、医療の仕事に戻らないと決心できました。

 
 

6.フリーランスで死ぬまでゆるく働く修行期

アラフォーで「正社員で働くのはやめよう。非常勤で自分が食べられるだけ稼ぎがあればいい」と考えておりましたので、フリーランスになりました。


「あとちょっと我慢すれば」と言われますが、そのちょっとが我慢できないのです。

 

広島に帰ってからブログで稼げることを知り、再就職中もブログを続けておりました。

 ブログを通してネット民になり、資産運用・ポイントサイト・クラウドソーシングを知り、

嫌な仕事に戻らなくてもお金が稼げることを知りました。


やりたいことでお金が稼げないので、ブログで稼いでやりたいことに突っ込もうと計画しております。


おひとりさまのまま自宅で最期を迎え、 2拠点生活を目標に死ぬまでゆるく働き・稼ぐため、精進をしております。


終わりに

今は全く稼げませんが、アドバイスをいただき、ブログを改造し、noteを書いて修行中です。
自分一人、食べていけるだけ稼ぐなら、負担はありません。
アラフィフブログ飯、無茶かもしれませんが、どうぞ見守ってやってください。



皆生温泉です。
住みたいところです。

 
皆生温泉移住したいところ2

 



 尾道です。
ここも住みたいところです。
移住したいところ1

 

 

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