special thanks 山本あすか
弊老母を反面教師にしてきた@やすじろうです。
がんの治療は一旦終了、再発なく経過して「何してもいい」とかかりつけ医からいわれています。
が、今まで自分で動いて楽しみを見つけたことがない弊老母。ぼーっとテレビを見る毎日です。
弊亡父の冠婚葬祭は、今まで全てお客様で参加していたので何をしていいのかわかりません。
それで不機嫌になり、八つ当たりが増えてきました。 さらに加齢による聴力障害が進み、聞こえないから会話に参加できません。何かと聞き落とすことが多いです。
新しいことが覚えられないので、さらに状況がわからなくなっています。 自分が何をしていいのかわからないので、弊亡父の介護生活が始まってから適応できずに本日に至ります。
絵に描いたような他人任せの人生を送った弊老母、フリーライダーの先駆けです。遊びも人生の選択も全て他人の決断に乗っかっただけの弊老母。
自分の楽しみすら自分で見つけられず、「ひとりが好き」というけども、ひとりでいられない性格で相手にしてくれる他人をただ待つだけの日々。
決して真似してはいけない弊老母の生き様をまとめてみました。
幼少期はわかりませんが、とにかく祖父の言うことを聞いていれば怒られないと学習したと言ってました。
決定的だったのが、結婚した夫が双極性障害を発症したこと。当時は精神疾患にかかれば即ドロップアウトという時代。離婚の選択はせずに「ワシが父親がわりになってやる!」と面倒見がいい祖父が弊老母を全面的にバックアップしたのです。
結婚したことがないワタクシはわかりませんが、夫婦で決めることもあるけど夫だけ妻だけで決断することもあると思います。
しかし弊老母は自分で決断することを全て祖父に委ねて、祖父の庇護のもとで結婚生活と育児をしてました。
依存先は祖父だけでなく、兄弟姉妹にも及んでいました。
冠婚葬祭は全て義兄弟と妹に丸投げ。
だから今回の弊亡父の葬儀の支度や香典返しなどのやり方が、全くわかりません。
葬儀屋さんが手取り足取り手配してくださったので困ることはなかったのですが、ワタクシより場数を踏んでいるはずなのに何もできないのです。
葬儀が終わってから「お義姉さんのやってること、みてなかったのよねえ」と電話で話してましたが、見てないどころかお客さんで座っていたのでしょう。
育児だけでなく社会保障の手続きも「わからない」で済ませていたので、受けられる支援はかなり取りこぼしていたと思います。
家を買ったのも義兄弟が不動産関係なので、全て都合良く物件を見てもらい手続きをしてもらいました。
「苦労した」と言う割には、全て他人に依存していたのでどれだけ「苦労した」のか…
彼女の頭の中の苦労話は、てんこ盛りの花盛りです。
弊亡父が双極性障害で世間なみに働けなかったので、弊老母が生活費を稼がねばならなかったのです。
資格も何もなかったので、ありつけたのは低賃金のスーパーマーケットや社員食堂の調理補助のパートタイム雇用の仕事。仕事が終わってくたびれ果てて、家でテレビ見ながらうたた寝をする毎日を送っていた弊老母。
資格や娯楽などに全く興味がないと言うより、勉強が嫌いで自分で何か見つけるのが面倒な性格だから自分の楽しみを見つけられなかったのです。
今でも覚えているのが、「本が読みたいから買ってきて」とワタクシに頼んだこと。
まだ本屋に活気があった時代なので、書店で店員さんに聞けば読みたい作家のコーナーに案内してくれます。それすら出来ない人なのです。
テレビだって情報番組や料理番組で生活の工夫の特集をしています。 それもぼーっと見ているだけなので、情報を利用することができない人になってしまいました。
百歩譲って「疲れていたから」を言い訳にできますが、家庭の事情を知っている周りの人がお膳立てするのに甘えすぎていたのは弊老母の責任です。
そこで頼りにしていたのが可愛い長男様です。電話で愚痴をいい、車でドライブに連れて行ってもらい、かなり仲のよい親子だったようですが。
ヨメが来てからはもう弊老母は相手にされません。 世の中の定番、ヨメの悪口をたらたらとワタクシに話し始めました。 面倒くさいのでほっときましたが。
可愛い孫が遊びに来ていたのも、思春期まで。 友達付き合いや自分の進路などで、祖父母に構う時間は少なくなります。
孫が遊んでくれない寂しさを埋めるものを見つられないのは、想定内のことでした。
弊老母の友人も病気をして気軽に会えなくなり、見ているのかわからないテレビをつけっぱなしにする日々は続きました。
そして突然の弊亡父の認知症発覚と介護生活が始まります。入院していた時はいいのですが、在宅介護に切り替えた時弊老母は介護に適応できなかったのです。
食事の支度・洗濯など難しいことはありませんが、弊亡父の身体介助をやろうとします。
「お父さんのご飯の支度とか、考えてなかった」と案の定想定内の答えが返ってきました。
弊老父に執拗に話しかけ抱きつき、嫌がられる。
そして「叩かれた、引っ掻かれた」としょげていました。
(叩くと言っても弊亡父が何か気に入らない時、急所を外してちょっと小突く程度です)
そしてとうとう介護を放り出しました。
「あなたの好きなようにしてください!」と部屋に引きこもり、「お父さん中心にして」と二言目にはいいはじめ、要は「自分は世話をしませんよ」というギブ宣言をいただきました。 食事の支度すら覚える気もやる気もないことが判明。
それが介護放棄になるとも考えてなかったのが、弊老母の浅はかさです。
ケアマネージャーや訪問看護師に相談できなかったのは、ずっと相談して自分で問題解決する方法をとっていなかったからです。
香典返しすら小姑任せにしていたので、挨拶の仕方すらわからないのです。
疎遠だった親戚と話すのも億劫で、避けていました。
年齢による聴力障害が進み、どれだけ聴こえているのかわかりません。
テレビも見ているだけで内容はほとんど理解してないでしょう。
自分の機嫌の取り方を知らないので、ワタクシに八つ当たりするのが少ない娯楽の一つです。 COVID-19の感染予防対策の中、限られた環境でも高齢者が楽しめることはあります。
それすら探せず自分の機嫌の取り方がわからない弊老母は、今日も周りに不機嫌を撒き散らしています。
加えて名義変更など諸手続きもわからないので、それも不機嫌の原因になりいつもイライラカリカリしています。
当然ワタクシは同情しませんし、弊老母を外出に誘ったりもしません。
フリーライドしてきた結果をしっかり自分で受け止めれば良いのです。
今日も弊老母はテレビか仏壇の前で孤立して過ごしています。
愚痴と文句で一生を終える、それもあなたが選んだ人生でしょう?
やすじろうって何してきた人?
高齢者おひとりさま生活をハックする、
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やすじろうがフリーランスになったいきさつは、やすじろうがオンフィフで
フリーランスになるまでのこと。をご覧ください。
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弊老母を反面教師にしてきた@やすじろうです。
がんの治療は一旦終了、再発なく経過して「何してもいい」とかかりつけ医からいわれています。
が、今まで自分で動いて楽しみを見つけたことがない弊老母。ぼーっとテレビを見る毎日です。
弊亡父の冠婚葬祭は、今まで全てお客様で参加していたので何をしていいのかわかりません。
それで不機嫌になり、八つ当たりが増えてきました。 さらに加齢による聴力障害が進み、聞こえないから会話に参加できません。何かと聞き落とすことが多いです。
新しいことが覚えられないので、さらに状況がわからなくなっています。 自分が何をしていいのかわからないので、弊亡父の介護生活が始まってから適応できずに本日に至ります。
絵に描いたような他人任せの人生を送った弊老母、フリーライダーの先駆けです。遊びも人生の選択も全て他人の決断に乗っかっただけの弊老母。
自分の楽しみすら自分で見つけられず、「ひとりが好き」というけども、ひとりでいられない性格で相手にしてくれる他人をただ待つだけの日々。
決して真似してはいけない弊老母の生き様をまとめてみました。
弊老母のフリーライドな生き様
生き様その1.祖父の庇護で生きてきた
生き様その2.「わからない」を言い訳に兄弟姉妹に依存する
生き様その3.趣味を持たずに働く日々
生き様その4.長男に頼るが疎遠になる
生き様その5.夫の介護に不適合
生き様その6.夫亡き後の不機嫌な日々
生き様その1.祖父の庇護で生きてきた
生き様その2.「わからない」を言い訳に兄弟姉妹に依存する
生き様その3.趣味を持たずに働く日々
生き様その4.長男に頼るが疎遠になる
生き様その5.夫の介護に不適合
生き様その6.夫亡き後の不機嫌な日々
生き様その1.祖父の庇護で生きてきた
弊老母、4人兄弟ですが彼女だけ依存的で全て他人任せな性格です。幼少期はわかりませんが、とにかく祖父の言うことを聞いていれば怒られないと学習したと言ってました。
決定的だったのが、結婚した夫が双極性障害を発症したこと。当時は精神疾患にかかれば即ドロップアウトという時代。離婚の選択はせずに「ワシが父親がわりになってやる!」と面倒見がいい祖父が弊老母を全面的にバックアップしたのです。
結婚したことがないワタクシはわかりませんが、夫婦で決めることもあるけど夫だけ妻だけで決断することもあると思います。
しかし弊老母は自分で決断することを全て祖父に委ねて、祖父の庇護のもとで結婚生活と育児をしてました。
生き様その2.「わからない」を言い訳に兄弟姉妹に依存する
ワタクシが物心ついた頃の弊老母の口癖が「わからない」。依存先は祖父だけでなく、兄弟姉妹にも及んでいました。
冠婚葬祭は全て義兄弟と妹に丸投げ。
だから今回の弊亡父の葬儀の支度や香典返しなどのやり方が、全くわかりません。
葬儀屋さんが手取り足取り手配してくださったので困ることはなかったのですが、ワタクシより場数を踏んでいるはずなのに何もできないのです。
葬儀が終わってから「お義姉さんのやってること、みてなかったのよねえ」と電話で話してましたが、見てないどころかお客さんで座っていたのでしょう。
育児だけでなく社会保障の手続きも「わからない」で済ませていたので、受けられる支援はかなり取りこぼしていたと思います。
家を買ったのも義兄弟が不動産関係なので、全て都合良く物件を見てもらい手続きをしてもらいました。
「苦労した」と言う割には、全て他人に依存していたのでどれだけ「苦労した」のか…
彼女の頭の中の苦労話は、てんこ盛りの花盛りです。
生き様その3.趣味を持たずに働く日々
ワタクシが物心ついた頃から弊老母は働いていました。弊亡父が双極性障害で世間なみに働けなかったので、弊老母が生活費を稼がねばならなかったのです。
資格も何もなかったので、ありつけたのは低賃金のスーパーマーケットや社員食堂の調理補助のパートタイム雇用の仕事。仕事が終わってくたびれ果てて、家でテレビ見ながらうたた寝をする毎日を送っていた弊老母。
資格や娯楽などに全く興味がないと言うより、勉強が嫌いで自分で何か見つけるのが面倒な性格だから自分の楽しみを見つけられなかったのです。
今でも覚えているのが、「本が読みたいから買ってきて」とワタクシに頼んだこと。
まだ本屋に活気があった時代なので、書店で店員さんに聞けば読みたい作家のコーナーに案内してくれます。それすら出来ない人なのです。
テレビだって情報番組や料理番組で生活の工夫の特集をしています。 それもぼーっと見ているだけなので、情報を利用することができない人になってしまいました。
百歩譲って「疲れていたから」を言い訳にできますが、家庭の事情を知っている周りの人がお膳立てするのに甘えすぎていたのは弊老母の責任です。
生き様その4.長男に頼るが疎遠になる
弊老母が嫌いなワタクシ、地元から離れてふらふらと働いていました。そこで頼りにしていたのが可愛い長男様です。電話で愚痴をいい、車でドライブに連れて行ってもらい、かなり仲のよい親子だったようですが。
ヨメが来てからはもう弊老母は相手にされません。 世の中の定番、ヨメの悪口をたらたらとワタクシに話し始めました。 面倒くさいのでほっときましたが。
可愛い孫が遊びに来ていたのも、思春期まで。 友達付き合いや自分の進路などで、祖父母に構う時間は少なくなります。
孫が遊んでくれない寂しさを埋めるものを見つられないのは、想定内のことでした。
生き様その5.夫の介護に不適合
人会に地域見守り隊にと社交的な弊亡父と対照的に、弊老母は地域の人に平気で不機嫌な対応をしていました。弊老母の友人も病気をして気軽に会えなくなり、見ているのかわからないテレビをつけっぱなしにする日々は続きました。
そして突然の弊亡父の認知症発覚と介護生活が始まります。入院していた時はいいのですが、在宅介護に切り替えた時弊老母は介護に適応できなかったのです。
食事の支度・洗濯など難しいことはありませんが、弊亡父の身体介助をやろうとします。
「お父さんのご飯の支度とか、考えてなかった」と案の定想定内の答えが返ってきました。
弊老父に執拗に話しかけ抱きつき、嫌がられる。
そして「叩かれた、引っ掻かれた」としょげていました。
(叩くと言っても弊亡父が何か気に入らない時、急所を外してちょっと小突く程度です)
そしてとうとう介護を放り出しました。
「あなたの好きなようにしてください!」と部屋に引きこもり、「お父さん中心にして」と二言目にはいいはじめ、要は「自分は世話をしませんよ」というギブ宣言をいただきました。 食事の支度すら覚える気もやる気もないことが判明。
それが介護放棄になるとも考えてなかったのが、弊老母の浅はかさです。
ケアマネージャーや訪問看護師に相談できなかったのは、ずっと相談して自分で問題解決する方法をとっていなかったからです。
生き様その6.夫亡き後の不機嫌な日々
弊亡父他界後、弊老母は閉じこもりがちになりました。香典返しすら小姑任せにしていたので、挨拶の仕方すらわからないのです。
疎遠だった親戚と話すのも億劫で、避けていました。
年齢による聴力障害が進み、どれだけ聴こえているのかわかりません。
テレビも見ているだけで内容はほとんど理解してないでしょう。
自分の機嫌の取り方を知らないので、ワタクシに八つ当たりするのが少ない娯楽の一つです。 COVID-19の感染予防対策の中、限られた環境でも高齢者が楽しめることはあります。
それすら探せず自分の機嫌の取り方がわからない弊老母は、今日も周りに不機嫌を撒き散らしています。
まとめーフリーライダーは自分の機嫌の取り方がわからない
自分の楽しみの見つけ方さえフリーライドしてきた弊老母、当然81歳になっても自分の楽しみの見つけ方がわかりません。加えて名義変更など諸手続きもわからないので、それも不機嫌の原因になりいつもイライラカリカリしています。
当然ワタクシは同情しませんし、弊老母を外出に誘ったりもしません。
フリーライドしてきた結果をしっかり自分で受け止めれば良いのです。
今日も弊老母はテレビか仏壇の前で孤立して過ごしています。
愚痴と文句で一生を終える、それもあなたが選んだ人生でしょう?
やすじろうって何してきた人?

高齢者おひとりさま生活をハックする、
やすじろうのプロフィールはこちら。
やすじろうがフリーランスになったいきさつは、やすじろうがオンフィフで
フリーランスになるまでのこと。をご覧ください。
ひとり遊びに磨きがかかってきました。動画配信サービス・電子書籍はいいですね。

合間を見てポイ活もしてますよ。
